恐竜発見の経緯。バックランド、キュヴィエ、マンテル、ライエル。

Rudwick. 2008. Worlds Before Adam 第5章(pp.59-72)は、メガロサウルスとイグアノドンの発見物語です。ラドウィックは学者の書簡を細かく検討しながらその経緯を再構成します。キュヴィエは1818年にはじめて英国を訪れた際に、オックスフォードでバックランドにとある二紀層の化石を見せてもらいました。キュヴィエはひと目で巨大オオトカゲの歯だと判定します。第二紀には魚竜や首長竜だけでなく、陸上にも大型肉食爬虫類がいたのです。さらに外科医マンテルは草食獣の化石を見つけます。当初は賛同を得られなかったのですが、標本を増やし、西インド諸島のイグアナとの類似性を示すことによって学界に認められるようになりました。
第5章はすべて閲覧できます。図版も多いのでぜひご覧ください。 http://books.google.co.jp/books?id=uQNX5jhoLPsC

Worlds Before Adam: The Reconstruction of Geohistory in the Age of Reform

Worlds Before Adam: The Reconstruction of Geohistory in the Age of Reform

2012年11月3日(土・祝)
ナチュラルヒストリーの歴史研究会

Rudwick. 2008. Worlds Before Adam.

Ch.5 Ancient monsters on land (1818-25) 古代の地上の怪物


5.1 Buckland’s Megalosaur バックランドのメガロサウルス

 1818年にキュヴィエがオックスフォードを訪れた際に、バックランドはストーンズフィールド(二紀層)で見つかった興味深い化石を見せた。キュヴィエはそれを巨大オオトカゲの歯だと考えた。
 その後バックランドはほかの問題に取り組んでいたが、1822-23年にキュヴィエの〔『化石骨』〕2版に間に合うように手紙を送っている。そのころ、パーキンソンは著書に「メガロサウルス」として掲載した。
 やや遅れて1824年、これはコニビアの首長竜の発表との二本立てとして学会で紹介された。現在のオオトカゲと関係があるとすれば、古代の〈陸地の〉生態の遺物と考えられる。


5.2 Mantell’s giant herbivore マンテルの巨大草食獣

 そのときすでにバックランドは巨大な化石爬虫類の存在を知っていた。外科医のマンテルはウィールドを調査しており、石切り工が見つけた標本を活用していた。
 マンテルは1818年には地学会に入会しており、1821年にキュヴィエに出版前の著書の挿絵(妻による)や化石を送った。
 マンテルは『サウス・ダウンの化石』(1822)において、「ティルゲイト層」で見つかった多くの歯や骨を「きわめて大きなトカゲ類の動物」(肉食)のものとした。さらに、草食獣のものと考えられる歯も見つけていた。マンテルは、ティルゲイト床には「ひとつ以上の巨大なトカゲ類動物」が含まれると結論づけた。しかし、ロンドンで標本を見せても、大きな魚のものや、表層のものではないかと疑われた。


5.3 Wealden stratigraphy ウィールドの層序学

 ティルゲイト層が二紀層の一部であることには異論がなかったが、その詳細は不明だった。
 著書の出版前、バックランドのもとで学んだライエルが、マンテルのもとに訪れ、連絡をとるようになっていた。ライエルは、マンテルの化石とストーンズフィールドの化石の「驚くべき一致」をマンテルに伝えている。
 ティルゲイト層の層序学的位置を決定するにはさらなる研究が必要だったが、マンテルは「鉄-砂層」と報告し、年長のフィットンやウェブスターもその議論に参加した。
 結局、バックランドが考えたように、ティルゲイト層はパーベック層のすぐ上のものだった。マンテルの爬虫類は、メガロサウルスやライアスの海生爬虫類よりも新しく、キュヴィエの巨大海生トカゲより古い。


5.4 Mantell’s iguanodon マンテルのイグアノドン

 草食爬虫類がいたというマンテルの主張には異論が生じた。ライエルがキュヴィエに見せたところ、キュヴィエはサイの歯だと考えた。またバックランドは、表層のものではないかと語った。
 マンテルは、1824年のバックランドの講演の場でサセックスで見つかったさらに大きな化石について語った。バックランドはすぐに現地に行き、キュヴィエにそれを伝えているが、それらはメガロサウルスのものだった。草食獣については、マンテルはほかの学者を説得できていなかったが、多くの化石が見つかり、若いうちは隆起が鋭く徐々に摩耗していくことと歯が生え変わることを明らかにした。
 それらの歯の絵を見て、キュヴィエは爬虫類のもので、肉食ではないことを認めた。これを聞いてマンテルは、ティルゲイト層には肉食獣(メガロサウルス)と、ほかに類のない草食獣があるという考えに確信をもった。
 しかしなにか類比となるものが必要だった。パリには行けないので、ロンドンのコレクションを見るうちに、イグアナの骨格を見つけた。大きさ以外は似ており、これが正しければ体長18mにもなる。マンテルは求めに応じて標本を送り、キュヴィエの『化石骨』2版にも記述されることになった。
 マンテルはキュヴィエには「イグアノサウルス」という名前を提案したが、コニビアは「イグアノドン」のほうが適切だとした。マンテルは王立協会に報告を送り、すぐに会員に推薦された。報告ではイグアナの骨の絵を付して、説得的に示した。


5.5 The Stonesfield Marsupials ストーンズフィールドの有袋目

 二紀層での巨大爬虫類の発見によって、キュヴィエが1818年に第三紀以前の哺乳類のものだとした歯が重要性を増した。
 キュヴィエは自分で行くことができなかったが、1824年にプレヴォイングランドに赴き化石を借りてきた。
 プレヴォはライエルに案内されてイングランドの各地を訪れた。オックスフォードではストーンズフィールドの哺乳類の顎を描いた。
 キュヴィエはこの顎は有袋類ものだと特定したが、これは例外として、第二紀には爬虫類が栄えていたと描いた。
 プレヴォはこの例外に納得できていなかった。この層は新しいものと考えられた。しかしこの疑念は忘れられた。


5.6 Conclusion 結論

 平和な時代のはじめの10年に新しく見つかった脊椎動物化石の先駆となったのは、魚竜と首長竜(コニビア)だった。メガロサウルス(バックランド)とイグアノドン(マンテル)は化石が断片的だったものの、陸にも爬虫類が分布していたことが示唆された。
 これによって、二紀層は三紀層とは異なる地球史の時代であることが認められた。
 しかし、これらの地層は現代とは分断されている。次章ではその溝を埋める試みを描く。