Rudwick 2008 Chap. 14
Worlds Before Adam: The Reconstruction of Geohistory in the Age of Reform
- 作者: M. J. S. Rudwick
- 出版社/メーカー: Univ of Chicago Pr
- 発売日: 2010/05/15
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Rudwick. 2008. Worlds Before Adam.
Ch. 14 The last mass extinction (1826-31) 最後の大量絶滅
14.1 Bone caves for Buckland バックランドの骨洞窟
1820年代、各地での迷子石や動物化石の発見によって、大洪水の影響が世界規模だったことを支持する根拠が強まっていった。バックランドは、1826年に大陸を訪れた際にこうした発見を支援した。セルはラングドックの洞窟や割れ目で動物の化石を見つけた。さらにクリストルはリュネル=ヴィエルの洞穴で、排泄物などそこで動物たちが生きていたことの証拠を見つけた(化石が流されたのではなく)。その後バックランドは石筍で有名なオッセル洞窟にも化石があると考え、大洪水前の熊の化石を発見した。
14.2 Buckland’s worldwide antediluvial fossils バックランドの世界規模の大洪水前の化石
さらにバックランドは、1827年、熱帯や北極における大洪水前の動物の証拠を報告している。これは英国の帝国戦略の産物であった。
東インド会社シンガポール総督のクロウファードは地質学会会員でもあり、英緬戦争直後、条約交渉の帰りにビルマで7箱もの標本を入手しロンドンに持ち帰った。そこには現生していないマストドン、カバ、サイ、カメ、ガビアル(淡水ワニ)などが含まれており、評判になった。
一方、北極圏で2つの遠征隊を救出するために派遣された船では、海軍中佐のビーチーがそれらを待つあいだにアラスカ北岸を探検し化石骨を持ち帰った。そこでは化石骨は氷山のなかではなく凍土の堆積物のなかに見つかっていた(マンモスなどと同じ)。バックランドは海軍本部の依頼を受け、これが大洪水前の動物だと報告したが、これらが絶滅したのは寒冷化が原因であるとし、人間の影響については考えていなかった。
さらに、やや曖昧なもののより遠くの例として、オーストラリア地方政府の調査員ミッチェルがウェリントン(オーストラリア)で集めた化石がある。カンガルーやウォンバットなどが確認されたが、2つの巨大な骨については分からず、大洪水前の可能性をもっていた。
14.3 Fleming and the course of extinction フレミングと絶滅の過程
バックランドが考えていた〈大〉絶滅に対して、フレミングらは絶滅は段階的で、なかには人類によって絶滅したものもあると異論を唱えた。これは、この数世紀に見られた英国における狼や熊のような〈局所的な〉絶滅という現在の原則を、過去に外挿したものである。
「大洪水」と「沖積」との区別の曖昧さは、「大洪水前」と「大洪水後」の区別が明確でないことに由来する(どちらでも見つかる化石があった)が、これは化石の不完全性で説明ができていた。しかし、オオツノジカ Cervus megaceros については、キュヴィエは大洪水前と考えたものの、沖積層から多く見つかり、人類が現れたあとも生きていたと考えられた。さらにハートは、肋骨化石に矢じりの跡を見つけた。
14.4 Lyell the budding synthesizer 新進気鋭の統合者ライエル
ちょうどそのころ、ライエルが現れ、『クォータリー・レヴュー』の連載(1824-1827)において、『地質学会紀要』(1822-24)を紹介し、現在因によって地球の歴史を説明した。ライエルは生命の歴史が発展的であることと地球が冷えていったことを認めた(冷却の原因は謎)一方、大洪水については言及していない。これは地質学の主流の考えであり、ライエル自身の特徴が現れているのは、現在因がいまでも力を持っていることを示唆した点である。
14.5 Conclusion 結論
『クォータリー・レヴュー』のライエルの連載の最終回は、中央フランスにおけるスクロープの調査に刺激されたものだった。それが次章のテーマである。